◆ 18歳から酒造りに 中学を卒業してからしばらくは地元にいましたが、18歳の時から出稼ぎに行くようになりました。最初は滋賀県の池本酒造に行き、19歳から石川県内の能登の数馬酒造に行くようになりました。27歳で嫁さんをもらった時も、数馬酒造にいました。しばらくしてから、七尾の春清酒造に7年間、それから、前さんと一緒に加賀の橋本酒造に行くようになりました。
最初に杜氏になったのは、福井の鯖江の井波酒造です。そこに、都合9年間お世話になりました。その後、現在の若駒酒造場に行くようになり、4年になります。杜氏になって11年。杜氏としての経験は浅い方です。
◆ 酒造りの仕事の魅力
酒造りは、醗酵してくると楽しいものです。醗酵が進む過程を分析しながら、観察し、手を加えていきます。気象条件や素材の状態などを踏まえ、毎回いろいろと工夫を加えていかないといけないし、酒の種類によっても異なる作り方をする部分もありと、酒造りは知的な仕事です。 |
◆ 酒造りの担い手・雇用も時代とともに変化 酒造業界には若い人も多いが、農業大学を出て酒造会社に就職し、杜氏を目指すという人が増えています。
一方で、地元の能登杜氏は70歳代の人が多い。一日4万円という高給の杜氏もいたし、年間雇用の形をとって、1000万円以上もの所得がある人もいます。昔ながらの杜氏や蔵人は、冬場の季節雇用が一般的だったわけですが、年間雇用も行なわれるようになってきており、たとえば全国に名が知られるようになった農口杜氏さんも、菊姫にいる時は年間雇用の形をとっていた一人です。 |
◆ 生活の糧を、複数の仕事で得る生き方もあり 能登杜氏は酒造りに関わっていますけれど、それぞれ異なる人生を歩んでいます。自分は兼業農家で、春先の育苗や田植えが終わると、シルバー(人材センター)の仕事にも出て、盆過ぎになると農協のライスセンターの手伝いにも行きます。
いくつかの仕事をしながら、生活の糧を得ていく生き方もありだね。年金も得ながら・・・。杜氏はほとんどの場合、国民年金ですが、会社によっては厚生年金をかけてくれているところもある。
全清協(全国清酒製造業退職金共済機構)の退職金制度もある。昭和41年からスタート、一日50円からスタートし、今は300円。杜氏や蔵人は、酒蔵を替わることも多いですが、一回貰っても再度掛けられます。300日掛けると貰えるようになる。
自分は建設業の退職金も貰いました。白山麓に仕事に行っていた時に、雇い先の福井の企業が退職金制度に入ってくれていたので、助かりました。 |
◆ 森と暮らす杜氏もいる 森林組合の仕事をしたり、山仕事をしている杜氏も何人かいます。珠洲の宝立山(ほうりゅうざん)には、子どもの頃の遠足で行ったことがあります。
私が住んでいる珠洲若山の集落の奥の林道沿いには、漁民が能登で森づくりをしているところがあります。蛸島(たこじま)の地区の漁師の人たちが、毎年、蛸島から来て、世話をされています。森が保全されているお蔭で、能登にはおいしい水も安定供給され、酒づくりも可能になっています。
健全な森があれば、水を安定的にもたらしてくれるという状況は、どこの地域でも同じです。
◆ 酒米もつくりたい 今後の思いとしては、せっかく農業もしているので、酒米を作り、それで酒を仕込むようなことが出来るとよいと思っています。
地元でも、珠洲の櫻田酒造さんは自分のところで酒米を作っています。個人で精米設備等を持っている人に委託することでも可能でしょう。精米機のある酒蔵であれば、十分可能です。酒造りを通して、いろいろな楽しみを追求していきたいです。 |
(インタビュー/2011年3月) |
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